エリコ新聞

小林エリコのブログです。

名もなき花

恥ずかしい話だが、過去のことをとても引きずっている。大人としてかなり「いい歳」になっているのに、子供の頃の不満や不遇を嘆いている。仕事の帰り道なんかにちょっとした暇ができると、頭の奥の方からポロポロ過去の思い出が湧き出てくるのだ。満たされなかったことを思い出してなんになるのか。今は昔よりも十分幸せじゃないか、そう言い聞かせても昔の記憶は洪水のように押し寄せてくる。私は過去のことが眼前で行われていることのように思い出せる。過ぎた時間によって脚色されているとは思うが大筋は変わらない。ちっとも幸せじゃなかった子供時代をどう処理すればいいのかとても悩んでいる。一つ話をする。

小学生の頃、バスの運転手さんにお花をあげましょうという企画が学校であった。街のために一生懸命に働いている運転手さんにお礼をしましょうというものだった。先生が説明するには、クラスのみんなが一人1輪ずつ花を持ってきて、それを一つの大きな花束にしてプレゼントするというものだった。当時の私からしたらしょうもない企画で、そんなことをして運転手さんが喜ぶと思えなかったし、むしろ、大事な勤務時間を割いて学校と関わらなきゃならないのは面倒なんじゃないかと思った。こういうことを企画する学校の意図が私にはわからない。勉強だけしていればいいじゃないかと今でも思う。けれども、一週間後には花束をバスの運転手さんに渡すことになって、その日にはクラスメイト全員が花を手にして学校に行くことになった。

私は憂鬱だった。母に学校で花がいることになったのを伝えるのが嫌だった。私は自分の家が貧乏であるというのは肌でなんとなく感じていたし、母が良い顔をしないのも想像がついた。しかし、花一輪だ。100円くらいで買える。私はそれくらいなら出してくれるだろうと考えていた。

帰宅して学校であったことを母に伝えると、母はちょっと顔をしかめて、

「一階のお宅の庭に花が咲いているでしょ。それをお願いしてもらってくればいいんじゃない」

と苦い顔をしたまま言った。

私は後悔した。母に内緒にして花は自分で買えばよかった。100円くらいなら自分でも捻出できる。うちは100円すら惜しい家庭なのだ。

私は花を学校に持って行く間、何回も苦しい朝と夜を過ごし、何回も味のしない食事をした。花を学校に持って行く前日、母は本当に一階のお宅に行って花をくれるようにお願いした。私は母が花屋に並んでもいない名前もわからぬ小さな花を手折るのを眺めた。どうして花屋に買いに行ってくれないのか、と喉の奥まででかかったが、ぐっと堪えた。母の手に取られた花は雑草のようにも見えた。

名前もわからない小さなピンクの花を新聞紙で包んで学校に行った。クラスメイトはバラやらカーネーションやら名前のある花を持ってきていた。私はただただ小さくなっていた。私は持ってきた花で冷やかしを受けることもないくらいクラスでは存在感がなかった。

先生が花をクラスメイトから集める。豪華な花束に私の雑草のような花が加わる。先生、先生、これはなんの授業なのですか?これをすることになんの意味があるのですか?頭の中でそう言った。

雑草入りの花束をクラスのみんなでバスの運転手さんに渡しに行った。運転手さんは普通の声色で「ありがとう」と言って花束を受け取った。

今も、道を歩いていて、名もなき花をみると胸が痛む。かわいそうだった私。けれど、当時は誰もかわいそうなどとは言ってくれなかった。今やっとかわいそうだと自分に言える。私は今、いくらでも花が買えるが、昔の自分に渡してやることができない。