エリコ新聞

小林エリコのブログです。

ダメな私を永遠に肯定してくれた「西原理恵子」

私が西原理恵子のマンガに出会ったのは中学生の時だった。今から20年以上前になる。今は押しも押されぬ人気漫画家だが、当時は無名であった。私がこのマンガを手に取ったのはタイトルに惹かれてだった。学校にいきたくないけど、行かなきゃいけない、でもどうしたらいいのかわからない、そんな時期にこのマンガに出会えたことはとても幸せだった。

一番最初のお話から感動的であった。拾った子猫を死なせてしまった話である。私は泣いた。子供の無力さとエゴに泣いた。思えば切り絵という手法でマンガを作ったのは当時にしては珍しかったかもしれない。

「晴れた日は学校を休んで」は小学六年生という教育雑誌に連載されていた。記憶が正しければの話だが。この本を舐めるように読んでいたのでそうだと思う。学校と家庭、クラスメイトと教師、その狭間で揺らぐ女の子にどれだけ共感しただろう。そして、最後のセリフで全て決まる。

「私が学校だったらとても悲しいと思う」

制服を脱いで「お母さん、私、これ着ないよ」といい、お母さんに髪の毛を切りなさいとしつこく言われ、その通りにする。そしてそのあと「切った髪の毛をそっと触ったら涙が出た」と表現する。このころからすでに西原理恵子は完成されていた。

はにゅうの宿という作品では貧乏な母子家庭の男の子の家が火事にあってしまう。友達の男の子が駆けつける。泣き崩れる母親の横で男の子は燃える家を見て、友達に気づき形容しがたい笑みを友に向ける。

西原理恵子の凄さは懐の深さである。とっくにわかっているのだ。この世が不完全なことも。どうにもならないことも。

それは作品を読めばわかる。ただ、私が西原理恵子を知った時、作品がとても少なかった。「まあじゃんほうろうき」や「ちくろ幼稚園」くらいしか見当たらなかった。私は西原理恵子に関するものならなんでも読みたくてサイバラ式という活字の本まで読んでいた。その本を読んで西原理恵子の過去を知り、「晴れた日は学校を休んで」という傑作が生まれたことを知った。

西原理恵子がメジャーになったのは「ぼくんち」だと思う。私はスピリッツで巻頭カラーを飾った時、家の中で喜びわめいた。

西原理恵子が売れたー!」と。

毎日母さんで本格的にヒットを飛ばしてから西原先生のサイン会に行った。周りは子持ちのお母さんだらけだった。西原先生はサイン会の会場の花を「これ、持って行っていいから。ここに飾っておいてもどうせすぐダメになっちゃうし」といっって会場のスタッフに来てくれた人に配るように言った。

西原先生は売れなくても、売れても全く変わらないのだ。売れて居丈高になるような人ではない。

西原先生はどうしようもない人を大切にしてくれる。ダメなままでいいと言ってくれる。私は制服を脱いだ今でも西原理恵子のマンガを読み続けている。