エリコ新聞

小林エリコのブログです。

白状する

中学時代、体の各所に異変が生じていて、大学病院を回っていたためたくさん学校を休んでいた。

担任が真面目な顔をして、私にこっそり言った。

「小林、お前は中学を卒業できるだけの出席日数がない。けど、ごまかしておいたからな。」

私はいたって真面目な生徒で嘘や不正が嫌いだが、この時ばかりは先生の行為を責めなかった。高校への入学願書はもう書いているし、受験勉強もしていた。

今思うと、私はとんでもなかったのだと思う。大学病院を転々としていた私の病名は今だにわからない。体に変なできものができたり、高熱が収まらなかったりしていた。

学校を休んで病院に行っていたので、勉強にはついていけなくなっていった。私の頭が悪いのはそのせいだと思う。休んだ後にクラスメイトにノートを借りて必死に写すけれど、写すだけでは理解はできない。頑張りたかったが限界だった。私は塾に通っていたが、塾の講師からセクハラを受けていた。

外に出るといつも胃が痛くて、休み休み歩いた。お風呂にもきちんと入れていなかった時期もある。風邪を引くと一週間は休んだ。父からはお前は長く生きられないだろうと冗談交じりに言われた。

私は必死に勉強して真ん中より少し上の高校に行った。卒業式の日にクラスメイト全員に卒業アルバムが配られた。クラスメイトたちは楽しげに眺め、アルバムにコメントを書きあっていた。私もお願いして書いてもらった。みんなが笑いながら書いてくれた言葉は「ブス」が圧倒的に多く、ほかには「ちゃんと学校行けよ」などであった。私は罵詈雑言の卒業アルバムを手にして卒業した。

私はそう言った言動を受けても、自分はいじめられているのでなく、いじられキャラなのだと思っていた。けれど、駅などで元クラスメイトに会って、話しかけると無視された。成人式には誰からも連絡は来なかった。

私はあの頃を思い出すと、喉の奥に熱いものがこみ上げる。私が学校を休んでいたのは病院に行っていたからで、不正をしていたわけではない。そして、病気だったのは多分、家族が原因だ。

人並みではなかったと言う思い出は私を簡単に暗闇に引き込むし、本当は中学を卒業できなかったと言う事実は罪悪感すら感じる。