私が山田花子を知ったのは新聞記事だった。記憶では新聞のはずである。ただ、私が住んでいる町には山田花子の漫画はなかった。
東京にでてから手に入れることができた。
山田花子の漫画はひたすら暗い。暗いのだが、嫌な気分にならない。
むしろ納得しながら読み進めてしまう。
「いい子でいたら幸せになれない」
「自分一人をおいて、世界が進行している」
誰もが感じたことのある、疑問や違和感を的確に表現する言葉選びは見事だ。
舞台は学校であるし、恋人同士のデートの場面もある。
細かい描写の中に、作者の生きづらさが書かれている。
その生きづらさは、作者の独りよがりになることなく、共感を呼び起こす。
私は20歳の頃、ボロボロになるまで山田花子を読んでいた。何度も何度も読み返した。
私は山田花子に代弁してもらっている気持ちだった。
この世の中はインチキで、この世の中は詐欺だと。
一般的な世間というものに馴染めなかった山田花子が書く主人公たちは、いつも阻害されている。
いじめにあったり、問題児だったりする。自分と世界とに強烈な違和感を抱きつつ、生き続けるキャラクターをつい自分に重ねてしまう。飛び降り自殺するたまみというキャラクターにさえ共感してしまう。
あまりにありきたりな名前だ。それは、普通になりたくて、必死に考えた名前だったのかもしれない。
しかし、あまりに普通を求めすぎたペンネームは変に目立つ。
山田花子自身が世間に馴染もうとしても馴染めない様を目の当たりにしているようだ。
私は、もう山田花子を読まなくなった。
しかし、山田花子の漫画に助けられていた時期があったことは紛れもなく事実である。
合掌。