エリコ新聞

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インド映画「エンドロールの続き」が素晴らしかったこと

私はインド映画が大好きだ。今から25年前、短大生の時に新宿でインド映画が公開されて、興味本位で見に行った。『ムトゥ踊るマハラジャ』がヒットする前で、インド映画に誰も注目していない時期だった。会場を占めるのは90%以上がインド人で、上映したのは『ラジュー出世する』という、主人公が出世するだけの映画だった。見終わった後も、友人と「人様の出世話になぜ金と時間を払ってしまったのか」と言う至極真っ当な話をしながら「この国の映画はなんか凄い」と、引き寄せられ、その後、実際にインドまで行き、映画館でインド映画を鑑賞し、歌って踊りながら薬物の取引をするシーンで爆笑し「やはりインド映画はすごい」と再確認した。そして、帰国してから約2年後、日本で『ムトゥ踊るマハラジャ』が大ヒットした。

それからの私は、日本でインドの映画が公開すれば、どんな映画でも見に行くくらいインド映画が好きになった『バーフバリ』や『RRR』が日本でヒットすると「やっと、インド映画の素晴らしさに気がついてくれたか」と、感涙する日本人だ。

インドはあまり知られていないが、一年間の映画の制作本数が700本から900本と、アメリカの倍以上の数を制作している映画超大国である。ボンベイでは映画がたくさん撮られており『ハリウッド』ならぬ『ボリウッド』と呼ばれている。

インドの南の方で撮られている作品は、歌と踊り、派手なアクションで構成され『RRR』のようなエンタメ作品が多いが、北の方では、比較的、ストーリーに凝った作品が作られている。

『エンドロールの続き』はボリウッド作品でなく、感動ものらしいので、背筋を正して映画館に行った。映画に憧れる少年の話で『インド版ニューシネマパラダイス』という触れ込みだった。

映画館で私は衝撃を受けた。あまりにも美しすぎたからだ。画面の構成、色の配色、溢れる光。どれをとっても完璧な美がそこにあり、まるでレンブラントの絵画を見ているようだった。私はインド映画が好きだが、その理由は、規格外というところにあった。基本的な長さは3時間あり、強すぎる主人公や何回も衣装替えするダンスシーン、また、サスペンスやドラマ作品でも、ずっこけてしまいたくなるようなやり取りがあり、どこか過剰で、足りないところを愛していた。

『エンドロールの続き』は、1ミリの隙もない、芸術的な映画だった。私がインド映画を見てから25年経ち、インドでは何か大きな変化の波が来ているのを予想させた。

映画の中でも語られていたが、インドはもうカーストではなく、英語ができる者と、できない者で分けられるという。主人公の少年もバラモン(司祭階級。一番位が高い)だが、貧しいチャイ売りの家の子供だった。

映画監督になるというのは、インドに限らず、日本でも難しいが、インドの映画界は世襲制で『RRR』のパンフレットを見ると、監督のラージャマウリ氏は父親が映画の脚本や監督をやっており、出演俳優も、俳優一家だった。もちろん、貧しい出身の俳優もいるにはいるが、数は少ない。しかし、それが悪いということではない。豊かな知的財産に囲まれ、一流の教育を受け、ヒットする映画を作れるのなら、十分その地位を活かしている。『RRR』は面白い。見たことがないアクションやCGを使いまくった画面は異次元の面白さだ。しかし、そこに芸術の影はない。地位とお金と教養があっても美的センスは磨かれなかった。

『エンドロールの続き』の監督はキューブリックチャップリン黒澤明など様々な映画を心から愛し、その美的感覚を自分のものにしている。だからといって、インド映画を下に見ているのではなく、アブダビ・バッチャンもカーン兄弟もスーパースターラジニカーント(全てインドの有名俳優)も監督にとってはヒーローだ。

今作は、紛れもない名作で、インド映画は一つの到達点に来たと言っても過言ではない。今作はアカデミー賞のインド代表作となっており、とても期待している。

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