エリコ新聞

小林エリコのブログです。

アヒルの子

ドキュメンタリー映画「アヒルの子」を観てきました。

未だに自分の心が揺れており、見るべきだったのか、見ない方が良かったのか分かりません。

このサイトを見ている方は知っていると思いますが、私は小学校3年生の頃兄から半年間性的虐待を受けていました。知り合いに「観に行きませんか?」と勧め られYouTubeで予告を見て「ヘー、面白そうだな」と興味を持って「行きます」と返事したあと、詳しい作品解説のURLが送られてきて、読んだら「実 の兄から性的虐待を受け、そのことを兄に追求する」とあり、怖くなって「やっぱりやめておきます」と断ってしまいました。しかし、ある支援者にその作品解 説のURLを貼って「見た方がいいでしょうか?」と送ったら「第3者的な視点で見たらいい」と言われました。その人は「アヒルの子」は観ていないのです が。かなり悩んだのですが、監督が上映終了後にトークをするみたいなので、昨日勇気を出して行ってきました。具合が悪くなったり、途中で出てしまうかもし れないので誰かと一緒に行ったら迷惑をかけるかもしれないし、それに一人で見るべきだと思ったので、一人で観てきました。

大雑把な説明としては、前半は性的虐待を行った実の兄への追求。後半は自分が5歳の頃一年間あずけられた当時のヤマギシ会の幼年期のメンバーを訪ね歩くという内容。

やはり、前半はきつかったです。性的虐待を行った兄に謝罪を求めるのですが、兄は言葉では「悪かったと思う」とか言っているけど、画面から伝わってくるの は「俺は全く悪くないよ。そんなことをなんで今更蒸し返すの?」というふうに思っているように伝わりました。私も兄に謝罪を求めたことがありますが、私の 実兄は「俺そんなに悪いことしたかな」と言っていましたし。

さやか監督が兄に「土下座して」と言ったら、兄は「すまなかった」と言って土下座しました。でも、やっぱり形だけのように感じました。「土下座したよ。こ れでいいでしょ?」というふうに感じました。その後さやか監督は兄に向かって「許す」と言って「え?許すの?絶対反省してないよ」と思ったのですが、やは りそこはさやか監督もきちんと感じていたらしく、その後画面に「許さない」と言う文字が出ました。

その後とは自分が5歳の頃預けられたヤマギシ会について。ヤマギシ会に預けられたことにより「親に捨てられた」とさやか監督は思いました。そしてその ショックのせいかヤマギシ会にいた時の記憶をなくしてしまいます。その頃のヤマギシ会幼年部のメンバーの名簿を見つけ、一緒に時を過ごしたヤマギシ会幼年 部のメンバーに当時のことを聞いて歩く。と言う内容でした。ヤマギシ会に入れた親や、ヤマギシ会の当時のお母さん係(今もヤマギシ会にいる)にも会って話 したりしていました。

あまりネタバレもしてはいけないので、割愛しますが、親は「ヤマギシは素晴らしい。あそこに子供を入れなければダメだ」と言う感じでしたが、実際に預けられた子どもたちは、母親係からの折檻、親のいない寂しさに耐えられなかったようです。

印象的だったのは、ヤマギシ会に入れた親が「おねしょをしても正直に言えるような子供になって欲しかった」と言っていたのに、実際にヤマギシ会に入れられた子は「おねしょをするとおしりを叩かれて怖いので言いづらかった」そうです。

最後は両親と川の字になって寝るのですが、私はそのシーンがどうしても受け入れられなくて「え?本当に親を許せたの?そんな親と寝れるの?」と疑問符が出てきてしまいました。

「生きていてよかった」とさやか監督がラストで言いますが、私はそこまでの気持ちの変化に至った形跡があまり掴めず、なんか突然許してしまった感が強かったです。

上映終了後にトークがあり、さやか監督が「映画には入れられなかったが兄も被害者(なんの被害者かは伏せておきます)だった」と言っていて「私の兄も何か の被害者だったのかな」と思い、この言葉が聞けただけでこの回に行ってよかったと思いました。しかし、「兄のことはもう恨んでいない」と言っていて「どう してなんだろう」と思って凄く聞きたかったのですが聞けませんでした。終わった後出口のあたりにさやか監督が立っていて、話しかけたりサインをもらってる 人もいたのに私は目をみることすらできませんでした。自分のミニコミも持っていって、一応カメラも持っていったのですが。

なんとか、無事に帰ることはできましたが、なにぶんショックが大きすぎて家に帰っていつもより薬を多めに飲んで寝ました。

トークに出てた芹沢俊介さんが「この映画は自傷的だね」と言っていて、私もこの作品を見たと言うのは自傷行為だったのではないかと思いました。

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