エリコ新聞

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漫画を描くために漫画を仕事にしない「高野文子」

高野文子は天才である。そして、作品が少ない。天才ゆえにとった手段だと思う。

表題作の「絶対安全剃刀」は書かれたのが1978年。だが全く古さを感じさせない。文字を反転させてみたり、なにか謎があるかのような展開。この奇妙なストーリーと絶対的な絵の上手さは他に類をみない。

この単行本は短編集である。短編集というと同じような作品になるのが漫画家というものだろう。作風とは漫画家そのものである。だが、高野文子は違う。

「田辺のつる」では痴呆のお婆さんを幼女として描いている。人は歳をとってぼけてしまうと子供のようになる、ということをすでにこの頃から漫画という手法で表現していた。

「ふとん」は美しい作品だ。幼い子が死ぬ時を実に叙情的に表現している。コマ割りを非常に重視している。映画にたとえると小津安二郎のようである。

そのような「上手い」「通好み」の漫画ばかりを描くのかといえばそうではない。「うしろあたま」は女子大生の女の子の淡い恋心をうまく表現している。

「私は髪の長い女の子とは違うんだもの。かよわい女の子とは違うんだもの」

この言葉は短大時代の私の心と寸分違わない。

しかし、大学の男子と歩いている時、わかってしまう。男と肩幅が違うこと。歩幅が違うこと。

守られるべき女でなく一人で生きていける強い女になりたいけれど不可能だと体格差で知ってしまう。最後のシーンで傘をさしながら当時の流行歌とともに終わる。

「あめあめ、ふれふれもっとふれ、私のいい人連れてこい」

高野文子の特筆すべき点は遠近感の表現力が優れている点であろう。これは読んでみなければわからない。

高野文子が新刊をだした。そして、過去の作品も未収録作品を加えて発売された。ファンとしては未収録作品が読みたいので買いたいのだが、すでに全てもっている状態。悩ましい。