エリコ新聞

小林エリコのブログです。

差別語と表現規制

世の中には差別がある。被差別者を守ろうとするために表現規制がかかる。

例えば「狂う」だがこれはまずいらしい。狂うというと「頭がおかしい」というのが先に来てしまうためイメージが悪いようだ。

私が中学生の時に筒井康隆の「断筆宣言への軌跡」を読んだ時に「狂うという漢字を使ったものの中にも『狂い咲き』など美しい言葉がある」とあった。20年 くらい前に読んだので確かかどうか分からないが、そう書いてなくても「狂い咲き」という言葉は私も美しいと思う。

狂うのが美しいといえば映画「サンセット大通り」の往年の女優が狂気の中、ラストシーンで高貴に階段を降りていくさまは美しいと私は思う。それに、何かを表現するときに「狂う」ということを使うのは物語を豊かにする。

でも、「傷つく人がいるから使ってはいけない」という人がいる。しかし、世の中には確実に狂っている人がいるのであり、言葉を変えたからと言ってその人達はいなくなるわけではない。また別の呼び方で呼ばれ傷つくだろう。

ネットでは「キチガイ」を「基地外」と使う人がいる。これは「キチガイ」と使ったらまずいから当て字で「基地外」としているわけだが、もしこれがずっと続 いたら「キチガイ」という言葉はなくなりキチガイは「基地外」というものになってしまうかもしれない。もうこれは言葉が言葉をなしていない大変おかしな自 体である。

それと、震災であやふやになってしまったが都条例の問題がある。いわゆる「二次元で未成年の女性にいやらしいことをする表現を規制しなさい」という条例だ。これについては元エロ漫画を編集していながら性虐待を受けていた私の意見を書こうと思う。

「近親相姦も強姦もどんどん書いてください。そうしないと女性が危機意識を持たない」ということである。

私は幼少期に兄に性的虐待を受けていた。

強姦はないが夜道で男性に後ろから抱きつかれて口を塞がれて倒されて下着の上から性器を触られた。そのことが起こった場所の近くの家の人が出てきてくれたから犯人は逃げたけどそのままだったら強姦されていたかもしれない。

他にも中学生の時に塾の男性教師が生徒を自分のアパートにあげて勉強を教えていた。でもその先生が家に上げるのはほとんど女の子だけだった。私は勉強を教 えてもらうためにアパートの鍵を借りて上がって勉強していた。私は胸を触られAVを見せられ古いエロ本を見せられたり、コンドームを見せられたり、卑猥な 言葉を言われたりした。他の女の子もそうだった。お金をもらってる子もいた。でも、私は先生のアパートに通い続けた。なぜか。先生は勉強を教えるのが凄く 上手いのだ。

このような設定はエロ漫画では鉄板であろう。「エロ漫画を規制したら性犯罪が増える」という人がいるが、この時は20年以上前である。規制しなくてもこういうことが行われていたのだ。

女性は男性向けのエロ漫画を目にすると不快感を覚えると思う。私もエロ漫画を編集していて不快だった。でも、残念ながら男性は女性をそういう目で見ていて 興奮しているのだ。その点で当事者の私としては世の中の女性に自衛として知っておいてもらうためにエロ漫画に規制をかけないで欲しい。