エリコ新聞

小林エリコのブログです。

人生の問いに答える

金曜日は短大時代のお友達のえりこちゃんの家族と遊びました。

えりこちゃんの旦那さんが「お台場にエリコさんを連れて行こう」と提案してくださって、旦那さんの車で子供達を連れてお台場に行きました。私は免許を持っていないので、車で都内を走り、お台場にいけるのはとても楽しみでした。

お台場について、トイザラスに行きました。私は時々、1人でトイザラスに行きます。大人なのだけれども、おもちゃが大好きで、トイザラスにいると、心がとても幸せになるからです。私は子供の頃におもちゃを満足に与えられなかったせいか、大人になった今でも、おもちゃが欲しくなります。人生において、全く必要のないおもちゃは私の栄養であり、力なのです。子供達とトイザラスに行っておもちゃを眺めるのはとても幸せでした。私は子供がいないけれど、友達の子供を可愛がる事ができるのは幸せなのだと思う。子供達におもちゃを買ってあげたかったのですが、子供が本当に欲しいものを知るのは意外に難しく、結局、トイザらスではおもちゃを買いませんでした。子供達は気を使って、あまり欲しくないものを欲しいと言ったりするので難しいです。

トイザラスに行った後、なんとかタイガーというお洒落な雑貨屋さんに行きました。友達のえりこちゃんが笑い話として、「旦那の実家に行ったときに、自分の子供が、おばあちゃんにおもちゃの指輪をプレゼントしたら「指輪なんて夫からもらった事がない」と言って号泣し、法事なのに、デカいおもちゃの指輪をはめていた」」という話を聞いたのですが、全く笑えなかった。なんでかというと、私は人生で指輪を男の人からもらった事がないからです。指輪もアクセサリーももらった事がない。正直、男の人から指輪をもらえる人生はとても幸せだと思う。たとえその人生が、苦痛にまみれたものだとしても、指輪をもらえたということはいろんなことを巻き返せる事ができるくらいデカい。男の人からピンクローターだとか、ゲーム屋さんで買い取ってもらえなかったゲームソフト(要はゴミ)みたいなもんしかもらえていない私からしたらそれは宝だ。人からお金をかけてもらえるというのは、やっぱり大事にされている証しだと思う。私は長い間、ゴミであったと思う。私の指にダイヤが輝いたことは一度もない。

お台場に行くことはほとんどないのですが、お台場の夜景が見える素敵なお店に連れて言ってもらった。東京の夜景が綺麗だと初めて知った。私は長い間、関東に住んでいるのに、そんなことも知らない。東京タワーはピカピカと赤く光り、美しかった。

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人生で初めてリコッタパンケーキというものを食べる。他にも牛肉やら、カレーやら、わけのわからない美味しいものを食べさせてもらった。私は人生において、美味しいものを食べるという機会が失われていたので、とてもありがたかった。私はいい年をして、いまだにサイゼリヤにばかり行くし、高いお店を知らない。

そして、友達が私のために、指輪を買ってくれた。おもちゃの指輪だけれど、友達の子供が「エリコ先輩はサンリオが好きだから」とキティちゃんの指輪を選んでくれた。左手の薬指にすると、高級なものにしか見えない。人生で始めてもらった指輪はとても美しく、気に入って左手の薬指につけた。

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私は最近具合が悪い。10代のことを文章で書いていたら、その当時のことをまざまざと思い出して、胸が苦しくなり、生きているのが嫌になるのだ。私はなんで生きているのかとよく考える。私は誰のために存在して、なんの理由があって生きているのだろう。

私が結婚して、子供がいたら、違うのだと思う。子供は、それだけで自分が生きる理由になるし、夫がいることは、最大の証人だ。指輪も子供も、この世に存在を許されている人しか手に入れられないものだと思う。

私の好きな作家にフランクルという人がいる。フランクルが「なぜ生きるのかということを人生に問うのではなく、人生の方が問いかけている」と書いていて、10代の頃はさっぱりわからなかった。しかし、最近、体感としてぼんやりわかってきた。人生の方が、私に問いかけているのだ。人生はなんなのかと。私はそれに答えようと思う。そのために、私は命を燃やして生き続けなければならない。人生の問いに答え続けるのが生きるということだ。私は今日も明日も生きる。

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