エリコ新聞

小林エリコのブログです。

指輪をもらえなかった人生

ここのところ、ひどい鬱になっていた。起きるのも困難で、泣いてばかりで、頭がおかしくなってしまったと気がついてとても悲しかった。精神科の先生に泣きながら「死にたいです」と何度も伝えたら、たくさんの抗うつ薬を出してくれた。私はそれらの薬を寝る前に水と一緒にガブガブ飲んだ。抗うつ薬がどうやってどこに効いているのか正直わからない。ただ、この大量の「死にたい」をどこかに連れて行ってくれないかなと思う。

精神科に行った後、高校時代からの友人と会った。とても落ち込んでいて、辛かったが、話していたら、次第に心が柔らかくなってきて、笑えるようになった。私は次第に声が大きくなって、恥ずかしくて普段ならしない話をたくさんした。昔好きだった人のことや、失敗した話。たくさん話したら、心がスッとした。しかし、話しながら、私は昔と性格が変わってしまったなと思う。私は昔、決して人を見下したり、バカにしたりしなかったけれど、最近は人に対してそう言う感情が湧き上がることが起こる。よくないなと感じる。抗うつ薬と友達のおかげで、随分元気になって、出歩くことができるようになったが、また、気分が落ち込んできた。私の鬱は一筋縄ではいかない。

最近、ひどく鬱になっているのは、10代の時に好きだった人のことが原因だ。頭の中には好きだったときの彼のことばかりが思い出され、仕事にも集中できないし、泣いて暮らすことが多くなった。10代の頃のことを文章にしていると、その当時の気持ちに乗っ取られて、いまの40代の自分が消えてしまったようになってしまう。

思えば、私は男性からきちんと真面目に愛された経験がほとんどない。先日、友人に「私は男の人から指輪をもらったことがない」と泣きついた。恥ずかしい話だが、私が最初の彼氏からもらったプレゼントはピンクローターだ。当時、もらったものの、何に使うものなのかわからなくて、ずっと放っておいた。使用方法を聞いてこの男は何を考えているのかと思った。そのほかにもらったものは、中古ゲーム屋に持って行っても買い取ってもらえなかった「チョコボの不思議なダンジョン」である。要はゴミだ。私はゴミだったのだと思う。私が自殺未遂をして、精神病院から彼の家に電話をしたら、「二度とかけてくるな」と言われた。

そのほかにも男性と何回か付き合ったが、1000円くらいのビーズのネックレスとか、恥ずかしくて身につけれないパッションピンクのマフラーとか、そう言うものばかりだった。その人のことは全く好きじゃなかった。告白をされたから付き合っただけだった。一緒にいるのも苦痛で、何度も別れようとしたけれど、別れさせてもらえなくて、ズルズルと長い間付き合っていた。最後の方は、大声で罵り合ったり、首を絞められたり、私が相手を包丁で刺そうとしたりして、散々だった。別れた後も、何回も連絡をよこすし、家に突然押しかけてくるので、恐怖だった。彼とはずいぶん長く付き合ったが、指輪もきちんとしたネックレスももらっていない。

その後、初めて好きな人と付き合った。その人がくれたものは、UFOキャッチャーでとったぬいぐるみだった。まあ、それなりに嬉しかったけれど、誕生日プレゼントはとても着るのに勇気がいるエメラルドグリーンにパッションピンクで現代アートの作家がイラストをかいたTシャツだった。私はやけくそで着た。当時、彼のことが好きだったから、笑顔で着ていたけど、私は本当にあのTシャツが好きだったのかなと疑問に思う。その人といて、毎日楽しかったけど、やっぱり、そう言うおかしなものをプレゼントする人のせいか、人生設計がおかしくて、付き合って3ヶ月で一緒に暮らそうと言ってきて、2人で住むアパートを決めて、義理の母に挨拶をした後に、「お母さんが一緒に暮らすのはまだ早いと言うから」と言う理由で、同棲はなくなった。私はその後、精神的におかしくなり、身体中が痛くなり、物が食べれなくなり、眠れなくなった。別れるのは嫌だったけれど、別れないと自分が死んでしまうと思い、別れた。しかし、それでも私の精神の荒廃はやまず、一年後に入院した。思えば、この彼も、指輪は最後までくれなかった。常識あるプレゼントはもらえなかった。

私は40歳になるのだけれど、この年まで、きちんとしたプレゼントをくれる男性と付き合えていないと言うのがコンプレックスになっている。結婚している人はみんな左手の薬指にきちんとした指輪をつけていて、それは確実に「常識」を放っている。

私は結婚できなかったことがとてもコンプレックスだ。シンプルに恥ずかしいと思う。思えば、私は20代の最初の方で、人生につまずいて、引きこもりになり、自殺未遂を繰り返し、精神病院を入退院していたのだから、まともな出会いがないのが当たり前だと思う。同年代の友人たちは仕事をし、遊び歩き、きちんと働いている男の人たちとデートをしていたのだ。私は一切、それがない。私がしていたのは、精神科のデイケア通所くらいだ。そして、生活保護を受けて、世間から切り離されていた。まあ、結婚できなくても仕方のない、人生を歩んできたのだと思う。

しかし、私は望んでこの人生を歩んでいるのだろうか。本当は編集者として、たくさん仕事をしたかったし、指輪をくれるような男の人と付き合いたかった。暴力を振るわず、きちんと目を見て話してくれる人と生活をしてみたかった。そう言う風に思うことはわがままだろうか。

最近、生きてきてわかったのは、世の中は結婚をしている人が生活をしやすいようにできていると言うことだ。私のように独身のパートで生活をしている人間は社会的信用もなく、家族というライフラインもないので、あっという間に底に落ちやすい。私はちょっと病気をしたり、怪我をしたら、今の生活をやっていけないのだ。なんて、ギリギリの人生なのだろう。もちろん、生活保護を受けていたときからしたら、夢のような状態なのだが、それでもこれなのだ。私は上を見てしまう。キラキラと輝く生活をしている人を。そして、それは殿上人でなく、意外と身近にたくさんいるのだ。私が憧れている生活は、特別なものでなく、どこにでも転がっているものなのだ。

最近は、未来について考えることができない。どういう生活を送るのが理想かとか、何をしていたいのかがわからない。ただ、思うのは、どうしようもなくなったら死ねばいいと考えている。人は1人では幸せになることはできない。私はずっと1人で幸せになる方法を考えてきたけれど、それは結局、なかった。そして、私の隣にいてくれる人が、どこにもいないということがただただ恐怖であり、絶望と、地獄の両方を見るのみなのである。