40歳
子供の頃は40代に憧れていた。私は40にして人は惑わずという言葉を信じていたのだ。現実に40代になった今、憧れていた現実からは程遠く、子供の頃とちっとも変わっていない。日々落ち込んだり、悲しんだり、さめざめとして過ごしている。
40歳にして家庭を持っていない事実は時々、ズシンと心に響く。まるで間違えた道を進んでいるかのような錯覚にはまり込む。思えば、私は20代の頃は家庭を作りたくなかった。むしろ、絶対に結婚なんかするものかと息巻いていた。それは単純に自分が育った家庭が残念な家庭だったからなのと、稼ぎのない母が父に服従していた姿を見ていたからだった。結婚しないで年をとったが、現実は寂しいもので、贅沢をするお金もなく、家に帰れば誰もいない部屋でぼんやりとテレビをつけているだけだ。
最近、友人の子供と遊ぶことがたまにある。子供はすごい。全身で私に身を委ね、あなたのことが必要だと体で答える。子供は一人では生きていけないか弱い体なのだと全力で訴えているのだ。子供であることは決して幸福なことではない。けれど、子供のそばにいることができる大人は幸福だ。小さな体が自分だけを必要としているのだ。誰かに全身全霊で必要とされることは生きていて、あまりない。
思えば、私は誰かに全力で必要とされたことがあっただろうか。過去に過ぎ去った男の影を見送るとみんなどこかしらに消えてしまった。友人もいることはいるが、極端に数が少なく、家族を持っている人や、一緒に暮らしている人がいたりすると、自然と連絡がしにくくなる。それに、大人は思春期の子供のようにべったりとした友情を築かない。
ふと、記憶を辿ると、私が強烈に必要とされていたのは、ペットのインコだった。ピーコと名付けた小さな小鳥は私が世話をすることでしか生きられなかった。私は必死にフンの始末をし、水を取り替え、餌をあげていた。栄養状態や室温も配慮した。私は子供の頃、とても生きているのが辛かったが、ピーコの世話をしている時だけ生きている感じがした。多分、子供のいる大人が感じている感覚はあれと似ているのかもしれない。生存のラインを全て握り、将来さえも手にしているあの感覚。私はピーコを死なせてしまった。急に祖父がなくなってしまい、お葬式に行かねばならず、母に言われるまま、餌を餌箱に大量に入れただけで、家を留守にした。一週間たって帰ってきたら、ピーコは狂ったように空の餌箱をつついていた。私は泣き叫び、ごめんね、ごめんね、といって餌を与えた。私は愚かな暴君だったと思う。ピーコは元気を取り戻したが、数週間後に亡くなってしまい、私は涙が枯れるくらい泣いた。あのことを思い出すと、所詮、自分は自分の都合で、私しか頼れない命を見殺しにした事実が目の前に立ち現れて、自分には子を持つ資格はなかったのだと思い知る。