エリコ新聞

小林エリコのブログです。

精神病新聞を書き終わってわかったこと

精神病新聞というフリーペーパーを私は書いていました。10年以上です。

分かった事は「世間様」は「精神病者」の私にとってとても手強い相手でした。私は世間様に負けました。そして精神病新聞という名前を捨てました。もう、二度と精神病新聞という名前でフリーペーパーを書いたりミニコミを作ったりする事はありません。

「世間様」にとっての「精神病者」は「守られるべきかわいそうな存在」であったり、「迷惑で排除すべき存在」であったりします。どちらかと言えば「守られるべきかわいそうな存在」として扱いながら「側にいて欲しくないので排除したい」存在です。

マスメディアの報道で精神病者の立ち位置は決まります。精神科の通院歴がある人が犯罪を犯せば、精神病者全てが危険人物になります。その一方でNHKハートネットTVなどの福祉番組をやります。

私はかわいそうな精神病者になりたくありませんでした。そして迷惑で排除されたくもありません。精神病新聞を読んで友だちになった人は私をそういった目で見ません。私を一個人として扱ってくれます。私の話しをきちんと聞いてくれますし、悪いところは悪いというし、いいところは良いと言ってくれます。

私は試していたのかもしれません。「精神病」と自ら名乗ることで人がどのような対応をとるのかを。

漫画や文章を書いているある作家さんと会う時に、その人は「怖い」と思ったそうです。それは私が精神病だからです。

でも

「実際に会ってみたら普通の人でびっくりした。」

と記事に書いていました。

何が異常で何が正常なのか。精神科に通院している人は全て異常なのか。私はずっとそれを考えていました。

20才の頃に出会った詩人のアレンギンズバーグの言葉に

「正気は合意というトリックである」

という言葉を見つけてこれだ!と思いました。

私の書いている精神病新聞を長い事読んでいてくれている人で野宿野郎のかとうさんという方がいます。ずっと読んでいて下さっていました。私も有名なので存在は知っていました。昨年、初めてお会いしました。何回か遊びました。お互い、自費出版をしているので自然にそっちの話しになりました。かとうさんは本を出版社から何冊も出しています。そして、夏は野宿の季節だそうで原稿の依頼がくるそうです。

私は「いいなー」と言いました。

そしたらかとうさんは

「原稿の依頼来た事ないんですか!?」

と言ってビックリしていました。

「一回もないよ」

と私は言いました。

「だって、面白いのに」

と加藤さんは言いました。

そう、面白くても精神病という名前を掲げている私のところには原稿の依頼は来ません。野宿をする女性は珍しいです。メディアも扱いやすいです。アウトドアとかの雑誌でもいいし、女性なのに野宿をする変わった女性という枠でもいいです。

精神病の女性はどうするか。かわいそうな精神病者として扱うか、頭のおかしい人として取材をするか、どちらかしかありません。しかし、本人が書いている文章は「かなまら祭りのルポ」や「コスプレファッションショーに出演」とかです。

私が編集者だったら使わないです。

精神病は私の一部ではありますが、私の全てではありません。むしろ、精神病という呼称を自分の中から必死に消しています。なのでブログのタイトルはえりこ新聞です。

えりこ新聞にして、仕事が来なかったら私は本当に文才がないのだと思います。毎日書いているのはただ単に何もする事がないのと、書きたいからです。