エリコ新聞

小林エリコのブログです。

チョコレートドーナツ

「チョコレートドーナツ」を観てきました。かなり多くの賞を取ったので気になっていて、先日ようやく観てきました。人がほとんどいない映画館で一人で泣いてしまいました。これはひとことで言い表せない愛の映画です。

ストーリーをざっと説明すると、1970年代のアメリカでゲイのカップルがダウン症の子供を引き取って育てる、という話なのです。しかし、この説明だといかにも陳腐に感じられてしまいます。

この話は家族愛と差別の話です。

主人公のルディは女装をしてショーダンサーとして働いています。そこにお客さんとしてきたポールと恋仲になります。ルディが住んでいるアパートの隣に住んでいる女性がある日薬物中毒のために逮捕されました。その時にダウン症の子供マルコをルディは見つけます。引き取り手がいないので、施設に送られてしまうのですが、ルディは施設が酷いところであるのを知り、引き取ろうとします。弁護士であるポールに相談するけれども無理だと言われ激怒するルディ。そして、実際にマルコは施設を抜け出してきてしまい、たまたま通りかかったルディとポールが見つけ、ルディがあてどもなく歩くマルコを抱きしめ引き取る事を決意します。

ポールの住む家にルディとマルコが住んで、三人は家庭を築きました。マルコはそれまで教育を受ける事も、きれいな衣服も、おもちゃも与えられていませんでした。マルコはポールとルディが用意した自分の部屋を見て「これが僕の部屋・・・」と言葉を漏らします。その時のルディの表情は優しい母親の表情でした。慈愛に満ちた母親でした。そして、満足げにパートナーのポールを見るのです。私はこのシーンで涙が流れてしまいました。マルコは今まで自分の部屋がなかったのです。いつも実際の母親は大音量の音楽をかけて薬物を使用し、男とセックスをしていました。セックスをする時はマルコに部屋の外に出るように命じます。マルコの部屋はなかったのです。マルコは実の母親が逮捕されてから、やっと自分の部屋を得るのです。その後はマルコは学校にも通い、生き生きと育ちポールとルディは二人で授業参観にきます。

三人とも社会から阻害された人間でありながら、暖かい家庭を築く事ができたことは大きな喜びです。社会から疎外された人間、いわゆるマイノリティの人間は何も手に入れる事ができません。それは私自身がよく知っている事です。そして、ルディもいいます。「ゲイには何の権利もないのよ!」と。ルディは穏やかなときもありますが、時折激しい感情をあらわにします。それはルディが送ってきた人生によってなのでしょう。私も時々感情が自分で抑えられなくなってしまう時があります。劇中の台詞に「キング牧師のやったことは偉いが差別は他にももっとある」(正確に覚えていないのですが、こういった内容の台詞だったと思います)キング牧師は黒人差別と戦いました。しかし、もっと差別を受けている人がいます。それがルディたちセクシャルマイノリティであり、ダウン症をもったマルコなのです。

思えば、自分自身、セクシャルマイノリティの人たちの差別について考えたことがあったかと問われれば考えた事はないです。それは身近にそういう人がいなかったためであり、接した事がないからです。そして、入ってくるのはメディアによる情報のみ。メディアのそれはおもしろおかしく取り上げます。ダウン症については全く情報がないです。親族にもいませんし、外を歩いても出会いません。メディアにもでません。ダウン症という言葉は知っているけれど、知る機会がありません。私はこの映画で初めてダウン症の子供も話ができて、笑顔で笑い、ダンスもでき、本も読めるという事を知りました。もちろん、状態によって様々だとは思いますが、映画の中のマルコはそうでした。私はこの映画で自分の無知と無関心に腹が立ちました。それと同時に社会に対してもあてどなく腹が立ちました。

映画の後半は三人が家族として暮らす事ができるように裁判で争うのですが、争点が二人がゲイのカップルでゲイのカップルは子供に悪影響を及ぼすという方に論点を持って行かされます。最終的には服役中の母親が早めに刑務所から出てきて親権を表明してマルコを引き取ることになります。ルディとポールは最愛の息子を失います。

確かに実の母親ですが、薬物の常習者であり、きちんと依存から脱していないのにマルコを育てる事はできません。そもそも最初から子育てをしているシーンはありませんでした。マルコはまた、薬物とセックスに溺れる母親のもとで暮らします。セックスの時に母親が「部屋から出て行って」とマルコに言います。

マルコはいつもは部屋の外でじっと待っているのですが、外に向かって歩き出しました。自分の家を探しに歩いているのです。それはルディとポールの待つ家であり、マルコにとって本当の意味での家だったのでしょう。でも、三人にとっての本当の家は差別によっていけないものと決めつけられました。そして、いわゆる善良な人々は実の母親のもとで暮らすのが子供に取って一番いいと決めました。

マルコは三日間さまよい歩き、橋の下で死体になって見つかりました。新聞の大きな記事の下に小さく載りました。そう、マルコの死は世間的には小さなものなのです。しかし、その小さなものによってルディとポールはどれだけ深く悲しみ傷つき、絶望したでしょう。そして、その小さなものにどれだけ愛を受け、与えられていたのでしょう。

ルディは三人で暮らしていた時に送ったデモテープが大きい事務所で見初められ歌手として再出発をします。そのデモテープはマルコがキスをしたデモテープです。作品ではそうかかれていませんが、きっとそうでしょう。ルディの歌声と歌詞は鳥肌が立つほど真に迫っており、エンドロールでは私は動く事ができませんでした。

私は物語の感想を上手く書く事ができません。いつもお話の説明になってしまいます。でも、これだけ深く心に染みた作品は久しぶりでした。

公式サイト

チョコレートドーナツ_convert_20140713144144