エリコ新聞

小林エリコのブログです。

3月11日から今日まで

3月11日に東北関東大震災がありました。震災についてはコメントできませんが、自分が今までどのように過ごしていたかを書いておこうと思います。

3月11日は事務所にいました。仕事中に大きな揺れがあり急いで机の下に隠れました。その後も何回も余震が続きました。事務所にテレビが無いのでユーストリームNHKを見ていました。

信じられない程の大惨事。繰り返される恐ろしい映像。私は具合が悪くなり、体の血の気が引くのを感じました。事務所の人にも「大丈夫?顔が真っ青だよ」と 言われ「すみません!ちょっとアルコール入れます!」と言ってコンビニでビールを一缶買いました。コンビニは人が結構いましたが、そんな混乱した感じでは なかったです。

アルコールを入れて少し落ち着いて友達や家族の安否確認をしました。友達はだいたいツイッターで安否確認出来ましたが、できない人もいたり、実家に電話がつながらなくてどうしたらいいか分からないのでぼんやり事務所の人と話をしていました。

そして、電車が動かないということになり、帰宅難民になりました。事務所の床にダンボールを敷いて2,3時間ほど横になって少し眠りました。私は服用して いる薬が寝る前だけなので薬は頓服くらいしか持ち歩かず、しかも全然使わないので中身も確認していませんでした。「今晩は薬が飲めないけど仕方ないな」と 思いましたが、運良くずいぶん前に、突然泊まることになったときのために用意しておいた薬が一回分あったのでそれを飲みました。眠剤はあえて飲みませんで した。

朝になってもなかなか電車が動かず、私の使っている線が動く見込みもなく、恐怖と寝不足と心労で疲れ果てて、私は何も考えることができませんでした。朝9 時頃になって電車が動き始めましたが、どういう路線を使って帰ればいいのか分からないし、正直、通い慣れた事務所から駅までも一人で歩くことができず、事 務所の人に手をつないでもらって駅まで連れていってもらうという有様でした。

事務所の人に送ってもらって何とかアパートに帰ってきました。オーブントースターが床に落ちて壊れていたり本棚から本が落ちたりしていましたが大きな被害 はなかったです。散らかってるものを適当に片付けて布団に横になりました。眠れなくて体の節々が変に痛みました。

夜にやっと起きだしてテレビやネットで被害の甚大さを知り、節電のためもありテレビや電化製品のコンセントを引っこ抜きました。ツイッターもTLが大騒ぎで情報が錯綜しているので友達のツイートしか見ないようにしました。

次の週は自宅待機していました。計画停電もあり、電車のダイヤも乱れているのでおとなしくしていました。テレビも計画停電と知っておかなければならない情 報だけ入れるようにして無駄に被害地の映像を見るのはやめました。原発も誰が言ってることが正しくて何をすればいいのかよく分からないので、あんまり気に しないようにしました。とりあえず今の自分がするべきことは「普段どおりの生活を送る」ということだと思い、自宅待機が終わってから事務所に行って普段ど おりに仕事をして、スーパーでも無駄に買うのはやめました。最初の時はカップラーメンや日持ちのするものを買ったりしていましたが、そういうのはやめまし た。

募金もどこにしたらいいのか悩んだのですが、友達が「市役所が一番いい」というので市役所に行って募金してきました。その後、友達の家に行って情報交換をしたり、お互いの家族や実家の状態などいろいろ話しました。

最近は状況はどうあれ、それなりに生活が出来ています。ただ、震災からお腹がずっとごろごろしてます。余震で朝早く目が醒めてしまったりして、困ることもあります。

復興には何年もかかるでしょうし、この震災で心の病にかかる人も増えると思います。精神科医や支援者に期待が寄せられていると思います。しかし、精神科医も支援者も人間なので限界があると思います。こういう時こそ仲間や友達の力が必要なのではないかと思います。