エリコ新聞

小林エリコのブログです。

10代に復讐されている

Noteの方で、ずっと自分の10代について書いている。

https://note.mu/sbsnbun

この文章を書いていると、10代の頃の自分に丸ごと飲み込まれ、乗っ取られてしまう。いじめの記憶も、人を好きになった事も、まるで今起こっていることのように感じられて、涙を流し、胸を痛めている。

ここのところ、調子は最悪であった。なんとか仕事に行っているものの、上の空になって過去のことを考え続けていた。私の行動は間違いであったのか、あの人は何を考えていたのか、たくさんの疑問符と過去の思い出が肩に重くのしかかり、窒息しそうだった。私は毎晩のように友達に電話をかけて話を聞いてもらっていた。友人がいることは本当に宝だと思う。

けれど、今朝は完全にダメだった。起き上がることができなくて、根が生えたように布団から出られない。体は鉛のように重く、頭では死ぬことばかりがぐるぐる回るのである。自分を元気付けようと思い、辛い時に聞く、ブルーハーツの「人にやさしく」をリピートして聴きながら枕を涙で濡らしていた。何時間もそうしていたが、限界になり、友達にメールをしたり、短大時代の恩師に泣きながら電話をした。恩師は心配してくれて、これから会いましょうと行ってくれた。80過ぎの先生に私は何をしているのだろうと、自分に対してとても嫌悪してしまう。私は40になっても1人で立ち上がることができず、優しい人たちの助けを借りないと生きることができない。

先生と都内で待ち合わせ、レストランに入る。私はボロボロと涙を流し、先生の後をついて行った。先生に話を聞いてもらい、いくらか呼吸が落ち着いた。私の病気は孤独からきているので、人と会うと大抵治る。それはわかっているのだが、こういう時に、気安く会ってくれる人というのはなかなかいない。私は先生にとても甘えていて、いつまでこれが許されるのだろうかと思う。

最近、10代の頃の友人知人と連絡を取る機会が増えた。ずっと音信不通だった人から連絡がきたりして、インターネットがある今、簡単に連絡が取れる。10代の頃の友人はあの頃と同じように仲良く喋ることができる。私は出来の悪い人間であるが、もう一度連絡を取ろうと思ってくれた友人たちには感謝しかない。

今日はとても力尽きていて、友人の力を借りないと立ち直れないと思い、友人宅にお邪魔してきた。友達の子供達を寝かしつけ、旦那さんと友達と私の3人で話をしていた。そろそろ私たちは人生を振り返る段階にきていると気づく。そして、幸福そうに見える人生にも必ず影があること、幸不幸は目で見て測ることができるものでないと気がつく。昔読んだ小説で、人生を一箱のクッキーに例えていて、そのクッキーには美味しいものと不味いものが同じ数だけ入っていて、美味しいクッキーを先に食べたら、あとは不味いものしか残らないし、不味いのを先に食べたら、あとは美味しいのばかり、というたとえ話があった。私は不味いクッキーばかりを先に食べていたのではないかと思う。最近は昔に比べて辛いことが減ってきている。そういう風に思えるようになったのは良いことだと感じる。そういう話をたくさんした。

終電間際まで友達の家で過ごし、帰りしな友達とハグをした。私たちは違う人生を歩んでいるけれど、それぞれに苦悩と悲しみを持ちながら生きている。私は人の人生はなんて残酷なのだろうと良く考える。人生を生きていると、立ち直れないほどの悲しみに必ず出会う。けれど、その悲しみに殺されることなく、友達とハグをして生きていきたい。