エリコ新聞

小林エリコのブログです。

終わった家族

父に8年くらい会っていない。父と最後に会ったのは、生活保護を受けている時だった。父に暴言を吐かれた私は父と絶縁して、それきり一度も会っていない。

人間というのは浅はかなもので、最近働き始めて心身共に健康な私は父に会ってもいいかなと思っている。しかし、父と連絡を取ることができなくなってしまい、私は一生父と会うことができなそうだ。

父は映画とロックと酒が好きだった。父は小学校高学年になった私に片っ端から映画を見せた。黒澤明からキューブリックまで、名作と言われる映画を全て見た。私はテレビのアイドルや芸能人よりも映画に詳しくなってしまって、他の子よりもませていた。中学生で大島渚を見て、原一男を見ているのは私くらいだった。父はそういう私が好きだったんだと思う。私は文化的な側面を父に育てられた。高校生の私にストーンズのコンサートチケットを渡してきた父は私と好きなものを共有したかったんだと思う。

父はいつも浮気をしていた。大人になったいま考えると、父は寂しかったのではないかと思う。いつも、足元がおぼつかなくなるほど飲んでいた。私も大人になって酒を飲むようになったが、私の飲酒の動機は寂しさから逃げるためがほとんどだ。寂しさや不安は酔いによってぼんやりと輪郭がぼやけてくる。父は浮気や飲酒でそういった不安から逃げていた気がしてならない。しかし、父の口から「寂しい」などという言葉を聞いたことは一度もないので、私が考えすぎているだけかもしれない。

私の家の中で本を読んでいるのは父だけだった。父の本棚には文庫本がみっしりと詰まっていた。坂口安吾堕落論芥川龍之介侏儒の言葉。私はそのラインナップから父の中に巣食う虚無を見ていた。なんとなく、満たされない人だったのだと思う。

映画が好きな父は映画の仕事に就きたかったらしい。しかし、そんな簡単に仕事があるはずもなく、色々探した末、映画のフィルムを運ぶ仕事をしたらしい。けれど、あっという間に辛くてやめてしまった。それからの父は見る専門になった。父は見た映画全てのパンフレットを買っていた。マニア延髄ものの「2001年宇宙の旅」や「時計仕掛けのオレンジ」のパンフレットもあった。ダンボール箱三つにもなるそれらのコレクションは父と別居してから、母が古本屋に売ったら、礼を言われたくらいだったので、よほどの価値があったのだろう。

父は古い切手を集めていて、それを私と兄に分けてくれた。その切手入れの最後のページに新聞の小さな切り抜きが入っていた。聞いたこともない青春映画の感想が書かれていて、なぜここに仕舞われているのか疑問だった。随分立ってから母がそれは父が書いたやつだと教えてくれた。私は父が文章を書いて投稿していたことを初めて知った。

私がこうやって、文章を書いて本を出したことを父は知っているのだろうか。ネットに顔を出し、雑誌にも載っているのに、父からは何も音沙汰がない。

私はひしひしと自分の家族が終わってしまったことに恐怖している。血が繋がっていようと、ともに暮らしたことがあろうと、私たちは終わってしまったのだ。

私は今日も一人で眠る。