エリコ新聞

小林エリコのブログです。

ずるい父

「家から駅までの間に、車が何台あるか当てよう」

そう父が言った。当たったら百円もらえた。当たったことはない。

父は何かにつけて賭けをしたがった。ポーカーを覚えたのもの父からだったし、日曜日に競輪場にもよく行った。父から頼まれるお買い物は競馬新聞の「一馬」だった。

賭け以外にも何かにつけてお金を出してきて、なんでもいいから一番をとったら10万やると言ってきた。

大人になって、ネットの記事で子供をお金で動かすことは虐待というのを読んでなんとなく納得した。私はパソコンの液晶をぼんやり眺めながら、父と何年も話していないことを考える。「お父さん」と最後に呼んだのはいつだったのか。

私の父親はクズであった。浮気を繰り返し、家にお金を給料の半分しか入れず、賭け事と酒に溺れ、子供の学校行事に顔を出したことなどない。運動会の時、母親だけが、私を見に来た。私の母親はどこのママ友のグループにも入らず、ただ私だけのために来た。私は運動場で小さくなって母とお弁当を食べた。私たちはとても弱かった。

父はずるい。父親はクズで人間失格で、自分の父親じゃなかったら眼中にも入れない人間だが、自分の父親だということを考えると100パーセント憎むことができない。全てを嫌いになることができない。好きな点を挙げろと言われたらあげることができないのに。

血の繋がりか、一緒に暮らしたからか、わからないし、会ったら罵声を浴びせると思うが、嫌いになることができない。

私が短大生の時、クラブで財布を盗まれて、新宿から家に帰ることができなかったことがある。その時、家に電話をしたら、父が来てくれて、特に怒るでもなく、私を思い出横丁に連れて行ってくれた。父曰く「ゴキブリが出る」という汚い店で父はビールを注文したので、私も注文した。そうしてモツ煮を頼んで、二人でつつきあった。

私にとって父はなんなのかをうまく言語化できないが、ただ言えることは何年も会っていないのに私の記憶にこびりついていることができる父はやはり特別なものらしいことである。