エリコ新聞

小林エリコのブログです。

私の銀河鉄道の夜

私は高校生の時、自分に全く価値がないと思っていた。生きているのが苦痛であったし、自分にお金を使うのも嫌だった。学校の成績も悪く、これと言って秀でたものもない私はいつも肩身が狭かった。

家に居たくなくて、公園で時間を潰した。夕暮れの公園でジャングルジムのてっぺんから生まれ育った街を眺めた。団地の窓の明かりは宝石のようにキラキラ輝いていて、あの中で人が人を殴ったり罵ったりしているのが信じられなかった。私が育った町は、あまりお行儀が良くなかった。夏の花火大会の後は、どこからともなく、南国の鳥たちのような色とりどりの特攻服を纏った人が集まる。その服の布地には「喧嘩上等」の文字が舞っていた。

私はこの街でよく生きたいと思っていた。そして、たくさんの本を読んで、宮沢賢治にたどり着いた。私の心を癒し、理解していたのは彼だけだった。私は彼の唱える犠牲的精神に憧れた。銀河鉄道の夜のカンパネルラのように、ザネリのために死にたいと考えた。私はだれかの犠牲になることで自分に価値が出ると考えるようになったが、そのようなことは10代の少女には難しく、自分にできる良いことと言ったら、お年寄りに席を譲ったりするくらいだった。

あれから私は大人になって、社会の犠牲者になった。貧困に陥り、自殺を図った。私は憧れていたカンパネルラになれたのだろうか。

パソコンができて、誰でも簡単に文章が打てるようになったので、私は精神病院を退院してから文章を書いて発表するようになった。それはフリーペーパーという形をとっていたが、ネットができてからはそちらで発表するようになった。

私の体験したことが人に読まれるようになって、少しずつ自分に価値があると思い始めている。それは、男性から愛されることよりも、子供から愛されることよりも重く強い。両方を得られなかった私だから与えてもらえたのかもしれない。

私は社会から放逐された者として文章を書いている。排除されたものからしか見えない視界で、社会を見ている。自分を犠牲にして文章を書いている私は少しだけカンパネルラに近づいたのだ。

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