エリコ新聞

小林エリコのブログです。

殺される側からの言葉、「母よ!殺すな」

最近読んで素晴らしく面白かった本。

素晴らしく面白かったって、言葉として変な気がするけど、素晴らしい本だし、面白かったので良いとする。

「母よ!殺すな」は脳性麻痺の当事者が書いた本である。タイトルの「母よ!殺すな」は母親が脳性麻痺の我が子を「かわいそうだから」と自ら殺した事件から来ています。

「重度の障害で生きていてもかわいそうだから殺した」は殺す側(社会)の側の論理で、殺される側(障害者)からしたらとんでもない話です。死にたいと本人が望んでいるならまだしも、かってに、「生きていてもしょうがない」と判断されて、殺されるのなんてとんでもない話だし、それが許される社会ってどうなんだよって話です。

許される社会とは、私たちが生きている社会であり、私たちが生きている社会は健常者の社会です。

健常者の社会では「利益を生み出さないもの」「健常者の社会の型にはまらないもの」を次々にはじき出します。

障害者はずっと家の中に閉じこもり、親や家族、支援者以外の人間と接することなく、健常者の世界の視界には入らないようにひっそりと生きています。いえ、健常者の世界には入れないのです。街中には車椅子で移動することもままならないしですし、バスで乗車拒否をされることもあります。その証拠に、街中を歩いていても、障害者をほとんど見ません。いえ、むしろ全くと言っていいほど見ません。

障害者は忌むべきものであり、目にしたくないものであり、世の中にいて欲しくないものなのです。

本に面白い記述がありました。火の番をする人のことを「火男」(ひょっとこ)といいます。ひょっとこというとお祭りにあるお面を思い出します。あれは脳性麻痺の人を指しているという記述でした。

他にも一本足の「かかし」なども、畑を守るために必要です。

昔は身障者にも役割を持たせ、なおかつそれは大事な仕事とされていました。

その他にも、神様に不具者が多いのは、昔はそういった人を聖職者としていたのではないだろうか、というのも興味深かったです。

仕事もない、身の回りのこともうまくできない障害者は何なのか、と言うことについては、むしろ、何も生み出さず、何もできない、その体は、命そのものである、と書いてありました。

私たちは、常に自分達にどれくらいの価値があるか考え、それがなくなったらおしまいだと考えています。なぜならこの社会は価値のないものは生きている価値がないとされているからです。

その社会の中で、ただの命そのものである人たちの存在は確実にこの社会に必要なのです。存在している、それだけで、この社会の光なのです。