エリコ新聞

小林エリコのブログです。

生き続けるために読む大島弓子

最近、自分のことを書いていますが、書いていると憂鬱になるので、自分の好きなことについて書きます。私はマンガが大好きですので、勝手に大好きなマンガを紹介していきます。

大島弓子の「バナナブレッドのプディング

私がこの作品で心を掴まれたのは、一番最初の主人公の「今日は明日の前日だから、こわくてしかたがない」というセリフだ。わかるようなわからないような一種哲学的とも言えるセリフである。大島弓子のマンガの凄さはネーム(セリフ等)の凄さだ。散文詩を読んでいるようである。

大島弓子のマンガの少女は常に不安定である。そして、大島弓子のマンガには性の香りが全くしない。全て排除されている。醜いものや汚いものは一切出てこない。少女は少女でいたい。しかし、10代の少女は綺麗なままでいることはできない。自らの意思に反していつの間にか性の対象になっている。そのことに戸惑った人は多いはずだ。

大島弓子のマンガを好きな人は少なからず、少女の中に存在する女の自分に傷ついていると思う。そして、大島弓子が好きな男性は無垢な少女が好きである。処女である少女、汚れていない少女が好きだ。だから、大島弓子が好きな男性には女性は気をつけないといけない。女が生きるためにはいつまでも少女で居られるわけがない。大島弓子のマンガは現実を生きる少女や過去に少女であった女性への癒しのマンガなのだ。

大島弓子のマンガでどれが一番好きか、と言われたら、私は「ダリアの帯」をあげる。

なぜ好きなのか、と言われると主人公のきいなが精神的におかしくなってしまうからかもしれない。きいなが流産をしておかしくなってしまってからの描写がすごい。きいなは「自分の赤ちゃんのお葬式に着ていく着物にはダリアの帯がいいと思う。ダリアを刺繍したいけれどどんな花かわからないから植えて育てる」といって家の中に土を運ぶ。きいなの世界ではつじつまがあってる。しかし、他人から見たらとんでもなくおかしな行動である。

しかし、私はきいなの心情がはてしなく理解できる気がするし、きいなが羨ましいとさえ思う。それは夫の一郎が決してきいなを見捨てないからである。

大島弓子のマンガがなぜ、ここまで心に残り、印象を深く残すのか謎であった。しかし、教えてくれた人がいる。大島弓子のマンガは「大事なところをわざと小さく描く」のだ。それを知ってから注意深く読むようにした。確かに、重要な場面なのにとても小さい箇所が多い。「秋日子かく語りき」では一番大事な「フランクリンの木をもらうシーン」が非常に小さい。ここが一番大事なシーンなのにとても小さい。

しかし、突然、見開きで真っ白な世界が広がり、雪だか花びらだかわからないものが舞っている。そうかと思えば真っ暗になる。

大島弓子は白と黒の使い方が非常にうまいのだ。

マンガは基本、モノクロだ。白と黒の割合が非常に大事だ。真っ黒な世界と真っ白な世界をうまく使い、大事なシーンは小さく描く。まるで人生の真実を描いているかのように感じる。

余談だけれど、大島弓子の全作品が読みたいけれど、全集は出ていない。猫のマンガを描いているが、私は大島弓子の描く少女のマンガをもっと読みたいと思う。わがままだと思うけれど。