エリコ新聞

小林エリコのブログです。

酔いがさめたら、うちに帰ろう。

鴨志田穣、カモちゃんの「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を読みました。

アルコールにより体がぼろぼろになるさま、内科と精神科への入院の繰り返し、そして最後の自分の人生の語り。私自身もアルコールに溺れ、精神を患って、入 退院を繰り返しているので、あまりにリアルで、気持ちが伝わりすぎてしまい、手や足に変な汗を書いて、涙を流しながら読んでいました。

最初のほうは体がぼろぼろになっているさまを書いてあるのですが、正直、あんなにひどいとは思っていませんでした。ビール瓶2本ほどの吐血、尿も茶色いのが数滴でるだけ。便や尿も寝ている間に漏らしてしまう。

「もう、酒はやめる。この後、ビールをジョッキ一杯飲んで、蕎麦屋で蕎麦を肴に冷酒を飲んだらやめる」と頭の中で思っても、果てしなく飲み続け、朝起きてもすぐに飲む。

内科で入院して3ヶ月、退院して抗酒剤を飲んで3ヶ月の間は一滴も飲まなかったが寿司屋でたらふく食べた後、板前が気を使って奈良漬を出してくれた。「まあ、大丈夫だろう」と思って食べたら強烈な香りと味。それでスリップ(再飲酒)してしまう。

アルコール依存症は自分の意志で飲まないと決めて飲まなくなるものではない。私の場合は、嫌な事やイライラすることがあると、もう頭の中はアルコールのことしかない。飲むこと以外に選択肢がない。

印象的だったのが、精神科医とカモちゃんとの会話。

医者「それで、どうして血を吐くまで飲んだの?」

カモちゃん「さびしくて、かなしくて」

もう、ここに集約されてるんじゃないかな。すべてのアルコールに溺れてしまう人の理由が。

カモちゃんは3ヶ月アルコール病棟に入院するが、3ヶ月後になんとか退院する。

アルコール病棟を退院する人は、退院するときに「体験発表」というのをする。

夜にタバコを吸いながら明日、体験発表をする人と話す。「ちょっと練習するから聞いてくれよ」と言って、その人の体験発表の一部を聞くのだが、あまりに凄 まじい。仕事のことで自暴自棄になり、アルコールを飲んでいたら、父親が「明日、会社まで車で送ってくれないか」と言ってきた。父親のことは好きなので 「送る」と言ったが、一緒に飲んでいた悪い友達が「今から帰ったら起きれないぞ。朝まで飲めよ」と言って飲んでしまった。気がついたら電柱に激突し、自分 は頭から血を流し、父親は体を曲げて、耳から血を流し死んでいた。

「そんなことまで話すのか?」というカモちゃんにその人は「おお、酒をやめるって言うのはこういう事さ。よく覚えておけよ。なんでアル中になったか。アル 中でどんだけ人に苦労かけたか。それを毎日忘れねえようにしないと、治んねえぞ。だから自助グループに出席して自分をさらけ出すんだよ。皆な」

その後、カモちゃんは癌により持っても一年と宣告される。それで、退院が決まり自分も「体験発表」する。やはり、カモちゃんも凄まじかった。アルコールの影に潜むもの。それはやはり、先程も述べた「さみしくて、かなしくて」という一言にすぎない。

ぶっちゃけ、カモちゃんは「西原理恵子の夫」という位置づけからなかなか抜け出せなかった。何冊か本も書いているが、それは全部表紙の絵をサイバラが書い ている。しかし、この本だけはリリー・フランキーが表紙の絵を書いている。そして、題名はそっとサイバラの字で書いてある。なんだかそこにカモちゃんの意 地とサイバラの愛を感じた。この本はそんなに有名にならなかったし、多分あまり売れていないんだろうと思うけど、私にとっては名著だった。正直、中島らも よりいい。(と言っても中島らもは「今夜すべてのバーで」しか読んだ事ないけど)

最後にあとがきの文を抜粋して書いておきます。

同室の、いつも寝ているか、それとも本を読むしかないおじさんと退院する直前、話す機会にめぐまれた。

「生きていくって何が大切ですか?」

「うーん、やっぱり”気”だと思うなぁ」

「気ですか」

「そう、ディープ・インパクトみたいな馬はめったにいないんだ。そういうことだよ」