エリコ新聞

小林エリコのブログです。

大人と周囲の子供

8月の中頃の事を書こうと思います。

お盆休みが終わった頃、私はいつもの様に事務所に向かっていました。

夏休みなので子供たちや親子の姿が目立ちます。

駅のホームで母親と小学校低学年くらいの男の子、その子の妹と思われる幼稚園くらいの女の子が母親に連れられて駅のホームを歩いていました。

母親は足早に歩きながら、イライラしている様子で小学生の息子に何やかや言っていました。息子は口をモゴモゴさせながら母親の後をついて行っていました。妹はその後ろを黙ってついて行っていました。

私はそれを見ていて「夏休みだからどこか遠くに出かけるのかもしれない。でも、ちょっと母親はカリカリし過ぎだな」と思って見ていました。

しばらく見ていたのだけれど、母親はイライラが全く収まらず、ずっと息子に何か言葉をぶつけていました。それがあまりにも長いので、ちょっと母親にひとこ と言いたいくらいだったのですが、30代の見知らぬ女に口を出されても母親は私の話など聞かないだろうし、通勤時間帯で周りに沢山大人がいるけれど、だれ も親子に注目していないので、私も口を出さずにいました。

と、その時、母親は息子の頭をパシンとはたきました。あくまで「バシッ!」という風に叩いたのではなくて「はたいた」という言葉のほうが合っている気がします。

私はそれを見て凄く驚きました。公衆の面前で子供をはたくという行為にびっくりしたのです。

息子は、はたかれる前もその後も泣いたり大声を出したりなどは一切せず、母親の言葉に口をモゴモゴさせていました。なにか言ったのかもしれませんが小さすぎて聞こえませんでした。

息子はその後、黙って母親の後をついていき、妹も黙ってその後を付いて行きました。

私はその場面を見てびっくりして、なにか言わなきゃと思いつつ親子がホームの先に行ってしまうのを見ていることしか出来ませんでした。

とても情け無くて悔しくてしばらく落ち込んでいて、この光景が頭から離れませんでした。

ちょっと、昔の話をします。

私が4歳くらいの時のことです。近所の年上の男の子と一緒に遊んでいました。男の子が補助輪付きの自転車に乗って走り出しました。私はその男の子の後を追いかけたのですが、男の子は早くて私は追いつけなくていつの間にか男の子を見失ってしまいました。

私は気がついたら知らない場所にいました。夕方だったと思います。

私は家に帰れない不安から大声で泣きました。でも、帰宅途中や買い物に行く大人たちがたくさん通り過ぎるのに誰も私に声をかけず、どんどん通り過ぎていきます。

正直、泣くのに疲れてきたのですが、泣くのをやめたら家に帰れないと思って頑張って泣いていました。

そしたら、一人のおばさんが「あらあら、大丈夫?」と声をかけてくれました。おばさんは私を慰めてくれて交番に連れていってくれました。そして、「お腹が 減ったでしょ」とパンを買ってきてくれました。クロワッサンに生クリームが挟まっていてさくらんぼののったパンでした。

私はそれを頬張りました。

パンを食べたら落ち着いてきて、警察の人に自宅の電話番号を教えることが出来ました。(はっきりと覚えていないですが、何らかの手段で電話番号は伝えたと思います)

おばさんはバイバイして去って行きました。

しばらくしたら母親が迎えに来ました。私ははるか遠いところに来てしまったと思っていのですが、自宅からそんなに離れていないところで迷子になっていたようでした。

なぜ、この話をしたかというと、私はこの時に見知らぬ大人に助けられたという思いが強く残っているのです。私は小さくて弱い子供だけどしっかりと社会の中で大人に守られて生きていたんだ、と思うことができるのです。

特に、子供にとって外で親に叱られたり、「うちの子はダメな子で」など親が他の親と話しているのを聞くのはとても辛いことです。「うちの子はダメな子で」というのも母親同士の社交辞令のような会話だと思っても「私は恥ずかしい子供なんだ」と思ってしまいます。

話は戻りますが、あの駅のホームで母親にはたかれた男の子は相当つらかったと思います。公衆の面前で親にはたかれる。でも、周りの大人は見て見ぬふり。仕方なく黙って母親についていく。

大きなお世話かもしれないけど、母親が男の子をはたいたとき「さっきから見ていたんですけど、こんなに周りに人がいっぱいいる中で、お子さんをはたかなく てもいいんじゃないですか。」と母親に言って「大丈夫?何かあったの?」と男の子に言えてたらな、と思うのです。

私が小さい頃、迷子になった私を助けてくれたおばさんになりたいのです。