エリコ新聞

小林エリコのブログです。

イメチェン

新年、髪をバッサリ切った。ここ5年くらいずっと髪の毛を伸ばしていた。理由はといえば「普通の人になりたいから」である。大抵の女の子は髪の毛が長い。それはリンゴが赤いからと同じくらいの理由で長い。髪をショートにしているのは、年がいった女の人が多い気がする。それは、多分、手間暇をかけるのが面倒だからという理由だと思われる。実際、長い髪の毛は乾かすのが大変だし、シャンプーの量も、トリートメントの量も倍かかる。

私は35を過ぎたあたりが人生で一番辛かった時期であり、その頃、大変な失恋を経験していて、正直、あの頃少し頭がおかしかった。(まあ、今もおかしいですが)失恋を乗り越えるために、普通の女にならねばと思い、化粧を頑張り、髪を伸ばし始めた。洋服もおかしな柄のものを買うのをやめて、ベージュとか、グレーとかばかり買った。一応、普通の女に擬態できていたと自分では思うのだけれど、これといって良い出来事もなく、どちらかといえば、不快な男性に出会う機会が増えた。そして、ストレスが溜まった。

そもそも、私は女らしい恰好があまり好きでない。たまに、ワンピースを着ると楽しくなることがあるけれど、基本的には、変な柄の服が着たいし、ジーンズとか年中履いていたい。自分が女らしい恰好が嫌い、というのは思春期の頃から始まっていた。私は幼い頃、自分の女性性を傷つけられる経験があって、それから女らしいものを避けるようになった。女の子だから赤を持つとか、そういうのもためらってしまうし、女の子だけに許されたスカートにも抵抗がある。中学生の頃は私服だと良く男に間違えられた。軽く傷ついたけど、それだけで、対して悩んだりしなかった。自分でそういう恰好を選んでいるんだから仕方ないよな、程度だった。しかし、男らしい服装は、私を全く救ってくれなかった。短大生の時の激しい痴漢被害は今思い出してもゾッとするし、夜道で知らない男性に抱きつかれ体を触られた時の恐怖はなんとも形容しがたい。外見だけ男の子らしくしても、私は女という性から解き放たれることはなかったのだと知った。

短大生の時は、比較的、好きな服装をしていた。インド雑貨屋で買ったヒンディー語が書かれた服や、絞り染めフリーマーケットで買った古着とか、親戚からもらったお古を着ていた。単純に高い洋服が買えなかったからだけれども、あの頃は一番楽しく服を着れていた気がする。もちろん、若かったから、変な服でも許される空気があったし、着こなすことができたのだろう。

年を取ってから、どんな服を着たらいいのかは非常に難しい問題で、ユニクロさえ着ていれば問題ないのではないか、たまには高い服も買わなければいけないのではないか、など悩んでいたのだけれど、外からの視線に合わせて着るものを選ぶのも面倒になってきた。別に、世間の人は私にグレーやベージュを着ろ、などとは一言も言ってこないし、髪の毛を伸ばして、綺麗に手入れしとけ、などとも言ってきてはいない。もちろん、綺麗で普通にまともな女の子というのは社会において男性から愛され、同性からも対等な人間として見なされるので、そういう女になるのは大事だと思うけど、私はむしろ、逆を張っていきたい。そもそも、私はそういう女になるのがとても嫌だったのだ。

髪の毛をばっさり切るのは、美容師側もちょっとためらいがあるらしく、随分長く髪型について聞かれた。「昔はベリーショートでした」と言ったら美容師はホッとしていた。髪の毛を短く切り、(でも、もっと短くしたいので、次に行った時はベリーショートにしようと思う)サッパリして、なんとなく、インド雑貨屋に行きたくなった。私は20代の頃、そういったアジア雑貨屋の店を見つけると何時間でも居座り、店を眺め尽くすのが好きだったのだ。そして、久しぶりのインド雑貨屋で、すごく可愛いスマホケースを見つけて、迷わず購入した。さらに、気が狂っているとしか思えないセーターを発見して、それも買った。一つの服の中に二つの柄が混在しているとかおかしすぎる。大人になってからわかった事なのだけれど、私は派手な柄がなんか似合うのだ。そして、気が狂っているセーターもやっぱり似合った。今後は、TPOを意識して、ベージュやグレーも着こなしつつ、頭がトチ狂っている洋服も着用していきたい。服装はその場を壊してはいけないものでもあるけれど、自分が楽しくあるのが一番である。